必見! 広島市に現存する唯一の国宝!不動院 金堂


広島市の唯一の国宝、不動院のことを本で知り、以前から興味があった不動院に行ってきました。アストラムライン「不動院前駅」から100m、徒歩2分の距離 静かな住宅街の中にひっそりと佇んでいます。イメージ的に、建物が坂の上にドドーンとあったり、道には目立つ不動院の案内看板があるのではないかと思っていましたが、全く違っていました。
周りにはお土産物屋、カフェなどもなく観光地の雰囲気は感じられません。静かで落ち着いた不動院。敷地内には国宝の金堂だけでなく、国の重要文化財も楼門、薬師如来坐像、鐘楼堂、梵鐘があり貴重な歴史的建築物に触れられます。

  不動院 金堂

池や周りの木々と調和し、悠久の時を感じられる不動院

 

国宝である金堂を見たとき、一番初めに思ったことは「岡山にある旧閑谷学校講堂に何だか似ている」でした。不動院の金堂と旧閑谷学校の建物は、屋根の造りも色も建物全体の大きさも違い、似ているのは、屋根の細部の形くらいなのですが、2つの建築物に共通しているのは、大きな派手さは無く静かでしっとりと落ち着いた建物ということでしょうか・・・。

 

確立された存在感と風格を感じます。人によっては、不動院金堂を見て京都の銀閣寺を思い出す方もいることでしょう。金閣寺には出せない良さが銀閣寺にはありますよね? 不動院は観光地化されていなく、国宝なのに、ただそこに静かに存在している、それが魅力的な場所です。ワイワイ大勢で訪れるよりは、1人または少人数で、ゆっくりと季節を感じながら、回るのにおススメです。

不動院 楼門
(※上の写真は、重要文化財の楼門)

不動院の長い歴史とその場所を守ってきた人物たち

 

不動院は広島市東区にある真言宗別格本山の寺院です。平安時代に建設されたと言われており、国宝である金堂は1540年に建築されました。金堂の中には、平安後期に作られた薬師如来坐像があり、こちらは国の重要文化財です。不動院の歴史を簡単にご紹介します。

不動院の前身は、足利尊氏、直義兄弟が全国の色々な場所に建てた安国寺の一つ、安芸安国寺として繁栄しました。

戦国時代には武田氏と大内氏の戦いにより、寺院は焼かれてしまい、藁屋に薬師如来坐像が置かれたまま50年の時が流れました。

毛利氏の外交僧、豊臣秀吉公直大名だった恵瓊(えけい)によって、寺は復興して金堂、楼門、鐘楼など整備されて繁栄しました。

その後、関ヶ原の合戦があり、毛利氏は安芸から防長二国に変わり恵瓊も石田三成と共に
京都で亡くなりました。

その後、1601年に福島正則が城主となり正則の祈祷僧であった宥珍が寺を守りました。宗派は禅宗から真言宗に変わり、不動院という名前になりました。その20年ほど後、広島城無断改修の罪に問われ、福島正則は安芸国を去りました。

1619年に浅野長晟が広島の城主となり、それ以降は浅野家歴代藩主の保護を受けて安定していきました。その期間250年間あまり。
明治以降は時代の権力者の手を離れて庶民の寺となっていきました。

不動院 鐘楼
(※写真は鐘楼門 こちらも重要文化財)

不動院の歴史をみていくと、大変な時代を乗り越え、そして色々な方に守られてきたことが分かります。昭和20年8月6日に広島に原爆が投下されたときも、不動院は爆心地から3.9キロの位置にあり、山麓の場所にあったので大きな被害は受けずに残った大変貴重な建造物です。昭和33年に不動院金堂は国宝に認定されました。

不動堂

上の写真は、不動堂、こちらでお参りできお線香を買って立てることもできます。隣にある納経所では、お守りや御札、パワーストーンが売っていました。

不動院 鰐口神社に参拝する前に鳴らす鈴、お寺では鰐口(わにぐち)と言います。不動院の鰐口は
下に引っ張ると、上から丸い木の塊がポンポンを音をたてて落ちてきます。こうゆう形式のものは初めて見ました。子どもがいたら、喜んで興味を持ちそうですよね。もちろん、おもちゃじゃないので、遊んではいけませんが・・・。


まとめ

訪れたのは、日曜日でしたが参拝客も何人か来られていました。しかも、拝観料は無料で10台ほど置ける駐車場も境内にあります。薬師如来坐像は、残念ながら今回はみることができませんでしたが金堂が開くお正月と5月5日に観覧できるので、また訪れて次回は必ずお会いしたいと思います。

広島県でのマイホームづくりなら、マイ窓。
無料相談・無料アドバイスのお問い合わせは今すぐ!

お電話でもマイホームのことご相談ください!

0120-560-657 平日10:00~18:00
加盟店募集 加盟店募集
このサイトを広める